京都

中世史

太平記を読み直し

5月から始まった歴史講座を受講していることもあって、久しぶりに「太平記」を読み直している。以前は拙家に関することを中心に考えていたので、その他の記述は流し読みしていたこともあり、今回読み直しをしていると、新たな発見が沢山あるように感じる。 ...
中世史

少しの勉強を生涯続けること

学校を卒業し社会人になると、社会人として必要な勉強以外は殆どしなくなってしまう。私もそうであったが、現在の学校教育だけでは、日本人として当然知っていなければならなかった社会常識(特に歴史故事)などは、自らが意識して勉強しないことには、理解し...
京都

啓蟄に思う

毎年この時期になると「啓蟄」を思い出す。 父の誕生日が3月5日だったこともあるが、この頃から地中で冬眠していた虫達がぞろぞろと地上へ出てくる季節ということを表している。 元は中国から日本に定着した24節季の一つだが、本家の中国の方ではこうい...
中世史

室町幕府奉行人の署名方法

極々偶にであるが、ネットに書かれている歴史関係のご質問にお答えすることがある。 ここ2~3年は殆ど書かなくなったが、10年ほど前は時々書いていた。 その中で、源平藤橘などの姓・朝臣と書いてあるものについてのご質問があったので、お答えしたこと...
丹波

江戸中期の保津川下り(丹波亀山藩家老 松平新祐と皆川淇園)

国鉄山陰線の複線化工事により、嵯峨と馬堀(亀岡市)の間に新たなトンネルが掘られ、旧線が廃止になることとなったが、風光明媚な保津川沿いの線路を何とか残せないものだろうかと多くの方々が奔走された結果、嵯峨トロッコ鉄道をつくって旧線上を運行するこ...
丹波

戊辰戦争と丹波

幕末の動乱はその勢いを止めることは無く、薩州・長州の先方は伏見城を守る幕府へと突き進んでいった。正月だというのに彼ら何故新年を寿ぐことをしなかったのだろう。 兵庫沖に停泊した幕府の艦船が2日の夕方に薩摩の艦船を砲撃したことが端緒だった。 し...
サーバー

問合せフォームの作成/後藤新平

コンタクトフォームにアドインを使っていたが、投稿記事を書き込むときに問合せフォームを作成できるようになっていた。ワードプレスを始めてインストールした頃の基礎知識からそう変わっていなかったので、コンタクトフォームを使うことが当然のように思って...
中世史

奥嵯峨の直指庵

京都奥嵯峨 直指庵(じきしあん)の柴垣 随分前になるが、年老いた尼僧の庵主さんが静かにお勤めになっていたが、ご高齢であったことも理由の一つであろうが、女性週刊誌で有名になりかなりの収入になってから、突然、庵主さんが正式な尼僧としての資格を持...
中世史

室町期の幕府行事などなど・・

'栄華を極めた足利義満は出家して道義と名乗り、藤原公経(西園寺公経)が山荘(「北山第」)を営んでいたものを強制的に譲らせたあとに建築した北山殿に隠棲するかと思われたが、まだ権力を離すことはせず、朝廷に習って院政を引いた。 【幕府北山殿御前...
中世史

丹波の弓射連中

最近蔵書している「亀岡市史」の史料篇を読みふけっている。 拙家は丹波国多紀郡に出自を持つので、大山村史・兵庫県史・丹南町史などから史学に入り込んだ。その後中世京都の歴史史料を、大学院生が読む以上に読み込み、拙家が関係していた史料をエクセル...