おん祭りと郡山藩

中世史

昨年も12月に行われる奈良春日大社若宮の「おん祭り」を見学に行けなかった。毎年今年こそは見に行こうと思っているのだが、こまごました所要があったり、体調が勝れなかったりで機会を逃している。

常日頃は春日大社の宝物殿へ行かないと見ることができない超特大の大太刀や装飾品などが小雪舞う奈良の町を練り歩く姿は、何とも見事である。

代々に渡り春日社の神人(じにん)としてご奉仕下さっている家がその伝統技能今日まで継承して下さっているので、この祭りが継承されてる。何と長い歴史ではないか。

明治維新とともに始まった世の中の大改革は、奈良春日大社、興福寺に大きな影響をもたらした。その一番が所領の上地令(没収)である。

江戸時代の幕藩封建時代になっても、皇室領や寺社領など、減少したとはいえ、日常の運営費用を捻出するための所領は保持しており、そこから上がる年貢や領地に居住する人々に役夫(やくぶ)を懸け、様々な手工芸品を奉納させてきたその根本的な法的根拠が突然崩落したのである。

奈良の人々や旧社領にお住まいになっている方々の継続したご奉仕があって、今日まで祭りが継続されていることは有り難いことである。

江戸期に大和郡山藩はこの祭りに藩士・卒を300~400人派遣して下支えをし、また、祭りの行列に「郡山藩参勤」として参加してきた。

明治になって郡山藩の解体により、その武士たちも来れなくなり、郡山藩参勤の行列は無くなってしまった。

私は京都で生まれ育ったので、この祭りの事を知らなかったが、10年ほど前に数年奈良に住んだことがあり、その時偶々インターネットでこのおん祭りに郡山藩参勤行列があることを知りった。

拙家は郡山藩で奉行職(執政職)を勤めていたこともあったので、旧藩士によって運営されているのかと思い、知人を通じてこの郡山藩参勤行列のお世話をされている方をご紹介頂き、メールと電話だけであったがお話しをすることが出来た。
予想していたことではあったが、郡山藩とは全く関係ない人たちでこの行列を復活させ、運営されているとのことであった。
郡山には城址に明治初期に柳澤神社が建立され、柳澤吉保を祀っている。この神社は旧藩主と旧藩士の寄進によって建立されたものであり、郡山における旧藩士の心の拠り所である。城址には柳澤文庫も作られ、歴史的な研究機関として多くの研究がなされ、今日も続いていることは、城址へゆけばすぐに判ることである。

旧藩士子孫から直接問合せをしたので、困られたことと思うが、私が首肯出来るようなお話しは何一つ伺えなかった。

拙家は室町期に幕府に武家奉行人も派しており、南北朝期には南都(奈良のこと)奉行も兼任していたこともあったので、郡山藩の奉行若しくは室町幕府奉行人として行列に参加しましょうかとお話しし、私はもう長時間行列に参加するだけの体力が残っていないので、愚息を参加させましょうかと申し出たが、では「やっこさん」から始めて貰って・・・という話であった。

【奈良春日社臨時神楽を催行する】
一 貞治五年丙午 九月ニ十日、依樹木枯槁、臨時御神楽武家御始行之、仍料足百三十貫文御沙汰也、
不足分ハ寺門沙汰之、
御書下
春日社御神楽料足百三十貫文内ニ十貫文者、先進了、相残百十貫文政所沙汰、可被送進之由、
被仰下候也、恐々謹言
【貞治五年(1366)】三月廿八日
                                             南都奉行依田
                                                             時朝 判(依田左近将監)
                         同  仲澤
                          信綱 判(中澤掃部允)
  斉藤左衛門尉殿(基名)
辰市家旧記 大日本史料
○ 興福寺別当記に 同年春日社神木二千与枯槁、自武家神楽執行、

落ちぶれたとは言え、藩の執政に連なった者の直系だと言ってるのに、「やっこさん」をしてくれと言われてするとでも思われたのであろうか。ここらが武士出身ではない方の考え方なのだろう。そんな言葉が出て来るとは全く予想もしていなかった。それは出来ない相談だとお断りしたが、その理由はご理解にはなっていなかったようであった。

時代行列に参加されるのに誰がどの役をやろうが、私は何も申し上げることはないが、郡山藩参勤と名を打っておん祭りに行列するのであれば、何故郡山の柳澤神社へ相談に行かなかったのか、全く理解できない。

毎年11月に柳澤神社で大祭が催される。そこには柳澤のご当主はじめ、御一族、旧藩士も参加している。誰もおん祭りで郡山藩参勤行列をされていることは知らないと思う。

テレビの水戸黄門に似たような放送があったように思う。

鑓廻しをするのは足軽の役目だった。残念ながら足軽の方々は柳澤藩の分限帳(侍の名簿)に載っていないのでご子孫を探すことも出来ないし、また、卒だった方を探してお願いするにしても、卒とは云え武士には違いなく、二本差しだった方に奴をしてくれとも言えない。勿論お目見え以上の武士がすることではない。

 

(写真引用 http://blog.livedoor.jp/onmaturi/archives/cat_50079049.html)2017/01/31 上記URLを開設されている方へサイトのフォームメールから引用の許可を求めている。著作権のあるものなので、諒承得られない場合は削除する可能性もあります。

写真借用のお願いを送信しましたがお返事がございませんでしたので、知人を通じて大名行列を行っておられる組織に連絡をして頂きました。昨日(2/15)担当の方よりメールを頂き、著作権者のご了解を得られたとの連絡を頂きました。お手数をお掛け致しましたことをお詫び申し上げると共に、お礼申し上げます。
ご連絡を頂きました中で、前もって了解を得て欲しかったとお叱りを頂戴致しましたが、この記事は投稿より後に何度か加筆しており、写真の借用を致しましのは、1/31の3~4日前であったろうと思います。引用の了解をお願いするフォームメールを送信致しましたのは同日です。そこには住所・氏名を書き加え、このような形で掲載したいとURLを書いて、写真著作権者にお知らせし、一応の礼儀は尽くしておりました。お返事が来ませんでしたので、このまま掲載を続けるのは宜しくないとい考え、サイトに朱書きで一文を加えておりました次第です。今一度フォームメールをご確認頂ければ幸いです。ではお言葉に甘えましてこのまま有り難く借用させて頂きます。

春日大社奉賛会の方々が楽しみでされていることなので、黙って見ているしかないだろう。

全国を見渡すと各地で時代行列、旧藩の藩士を模した行列が行われている。明治の世の中になって武士出身の者は無用の長物というような扱いを受け、世間は没落してゆく士族を嘲笑したのであるが、今日になって武士に憧れ、自分たちがせめても武士の格好をしたい、また、色んなスポーツでサムライを名乗りたいと、一杯使われている。サムライジャイアンツ・サムライジャパン。

奈良市の行政文書を見ると、おん祭りへの参加者を市民から募集している。みなさん楽しく参加されている処へ水を差すようなことになってはいけないと思うが、郡山藩の旧藩主・旧藩士に何の断りもなしに、郡山藩参勤行列とは如何なものかと思う。

藩士1105名、卒789名の子孫は絶滅したわけではない。

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