最近の検索ワードにコメントしてみます。

この数か月体調が思わしくないので投稿を休んでいましたが、今日は久ぶりに気力が戻っていますので、最近このサイトで検索された「キーワード」でお答えできるものを少し書いておきます。

「丹波国多紀郡苗字 〇〇〇」
多紀郡にお住いの方がご先祖を確認できるかと調べられたのだと思いますが、江戸期に在地で苗字を確認できるのは室町時代から著名であった方以外はごく僅かです。
兵庫県史・大山村史・丹南町史などをごらんになれば、確認できることがあります。
丹波篠山市の図書館に「多紀郡誌」(毛筆の複写もの)もありますので、それらをご調査下さい。

「丹波 旗本 山本」
丹波国桑田郡山本村に盤踞されていた著名な方を確認したかったのだと思います。
新修亀岡市史の資料編に詳しく出ていますので、それをご確認下さい。
亀岡市歴史文化資料館にゆけば本を閲覧できます。(私は蔵書しています)
「五苗」と呼ばれる中世からの武士団が、江戸期になっても村の支配権を保っていました。
ここではお名前を伏せておきます。史料をご確認ください。

「無煩可令勘過之状如件」:「關泊、無煩可令勘過之状如件」
この読み方をお調べになりたかったのだと思います。
関泊り、煩いなく勘過(かんか)せしむべきの状、くだんのごとし と読みます。
「関」とは大井川にある「川関」つまり関所のことです。
大井川の水運にのって荷物を京都へ運ぶとき、関所で留めて通行料を徴収せずに通しなさいという
命令書です。このような命令書を「過書」(かしょ)と言います。
室町時代の奉行人奉書ですと 備前守源朝臣・丹後守平朝臣と二名の奉行人が連署しているのがほとんどです。江戸期は知りません。

「矢田判官代義清 丹波」
源平合戦の初期に丹波より出陣した足利氏一族です。後年足利尊氏が丹波篠村で挙兵したのが、その場所が平安期より足利氏の所領であったと太平記などで書かれています。矢田は八田とも書き、篠村の隣です。今の亀岡市南部付近になります。

「穢多・非人 苗字」
なん為に検索されたのか判りませんが、お答えできるものは全く持っておりません。
ちなみに、江戸期篠山藩の在地役人とし独礼格でて苗字帯刀を許されていた方もおられました。

同和問題を歴史的に俯瞰して研究しようとされるのでしたら、各地の同和問題研究機関が発行している史料集をご研究になられたら良いでしょう。興味本位や差別的な目的をもって検索される可能性は重々承知していますので、このサイトで掲載した記事は全て場所や名前をを特定できないよう配慮してあります。

以上、お答えになったかどうかわかりませんが、お役に立てれば幸いです。