秋の彼岸会法要

奈良

つい先日夏の施餓鬼法要にお参りしたと思っていたが、今日はもう秋のお彼岸法要に参加してきた。
年3回の法要にお参りさせて頂くことは誠に有難い。江戸期に兄弟であった方のご子孫や、勘定奉行をされていた方のご子孫とも、毎度であるがご挨拶をさせて頂いている。
明治維新から既に150年が経過したが、このお寺へお参りすると、遠祖の同僚達のご子孫と顔を合わせている。

廃藩置県、秩禄処分、廃城令などなど、社会の急激な変化に翻弄された士族たちは、城下に居を構えていては生活ができす、殆どの者が城下を後にしている。

拙家もその一つだが、幸いなことに奈良・京都と、城下よりそう遠くない場所に移り住んだので、菩提寺との縁も辛うじて繋がり、今日法要に参列できていることは、誠に有難いと思う。

城下を離れた武士たちは、菩提寺との縁も切れてしまい、本人が亡くなった時には葬儀をしてもらう寺を探さねばならなかった。江戸期であれば菩提寺から「旦那送り」を書いてもらい、新たな移住場所の同宗寺院へ紹介されていたのだが、明治になって国策として神教に改宗するよう、特に国家公務員についてはほぼ強制的に指導されたこともあって、雨後の竹の子のように新興宗教がはやり、そこへ改宗してしまった方などは、菩提寺との縁が切れてしまったこともあって、遠祖の墓所さえも伝承していない方が結構おられる。

拙家もその影響を強く受けたので、菩提寺との縁はかなり細くなってしまったが、何とか縁が切れる直前で踏みとどまった。

今日は雨だったので、墓所への献花は2~3日後に行うこととして、頭だけ垂れてきた。

以前サザエさんに関することで少しブログに書いていたが、長谷川町子さんはこういう法要にお参りする習慣を伝承してこなかったお家に生まれられたのであろう。

読経・永代供養者の読み上げ・卒塔婆供養者の読み上げがあり、名前を呼ばれた者は仏前に進み焼香する。今日はなかったが、ふつうは菩提寺住職の友人僧侶が一時間ほど法話をされて、それから法要に入る。

ごくごく当たり前のことだったのだが、それを継続して行うことが大事であり、一代でもそれを止めてしまえば、次の代には続かない。
墓所へ献花にゆかれることはされるだろうが、人によっては葬儀・納骨をすませたらもうそれでお終いになってしまい、墓参りにもゆかない方もおられる。
特に次男以下や、嫁に行った娘などは、余程のことがないと寄り付かないだろう。
それが何代も後になって、「はて、私のルーツはどこにあるの・・」となってしまう。

明治・大正・昭和と激動の世を生き抜くのは武士出身のものにとっては、きわめて屈辱的な仕打ちを多く受けなければならなかった。
没落する士族をなんとか救済しようと、旧藩主や重職にあった者たちは懸命の努力をしたが、急激なインフレに悉く打ちのめされた。毎回法要の度に、激動の時代に翻弄された遠祖に感謝の念を捧げている。

 

 

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