蕾ふくらむ・・・・

暑さ寒さも彼岸まで・・・南都奈良ではお水取りが済まないと春は来ないと言われている。
これは奈良で育った父が毎年口にしていた言葉だ。今は亡き父を思う時いつも浮かんでくる。
高齢になった父は毎年多くの防寒具に包まり、3月始めまでは外へ出ることはなかった。
啓蟄になるのを待ち遠しく思っていた。父は3月5日が誕生日なので、それに合わせていたのかもしれない。

もうすぐお水取りの荒行も終了する。菩提寺の梅も昨日墓参した時にはもう殆ど散っていた。
菩提寺には枝垂れ桜が一本あり、もうすぐ綺麗な花を咲かせてくれるだろう。
先日の彼岸会で和尚は、郡山の「歩こう会」から見学の申し出があったので受け入れたと話していた。どこの誰が教えたのだろうか。・・・(笑)
檀家が話さない限り知る方はおられない筈なので、何処かの飲み屋ででも酒の席で自慢されたのであろう。

郡山では何と言っても城址の枝垂れ桜が最高だ。近鉄電車から見えるので、県内の人で知らぬ人はおられないと思う。
樹齢は80年くらいとのことだが、恐らくそれ以前にも明治に旧郡山藩士の寄付によって植樹されたもの伝統を受け継いでいるのだろう。

城址と言えば、この数年旧天守台の石垣が崩れかかってきたので、発掘調査も兼ねて大修理が行われてきた。昨年秋の柳澤神社例大祭の折には殆ど出来上がっていて、旧藩主の祖霊社も横に綺麗に再建されていた。

この連休に一般公開される予定だったと思う。近々お参りに行かねばならない。

桜の季節が終わると、連休にかけて「お城祭り」が開催される。
柳澤神社は明治13年に、旧藩主及び執政職にあった旧藩士の寄付によって創建された。その旧藩士達が鎧兜に身を固め、参拝したのが始まりである。
第二次世界大戦の頃まで続いていたようだが、敗戦と共に旧藩士も戦死したものや、中国・朝鮮・東南アジアなどへ新たな糧を求めて移住した方も多くおられたらしく、戦後は再興出来なかった。
其の後一般庶民も含めた柳澤神社奉賛会が組織され、今日までご奉仕を頂いている。旧藩士もこのなかへ組み込まれてしまった。

私は父が京都へでて事業をしていた関係で、旧藩士の会「柳蔭会」のことを良く聞かされて育ったので、成人して車で郡山へくるようになったから、先々代の宮司さんに知己を得て、毎年欠かさずお参りするようになっていた。

両親の高齢化により、神社まで足を延ばすことが中々難しくなってきたが、14~5年前であろうか、久しぶりにお参りし、其の後また毎年お参りさせて頂いている。

消えてしまった「柳蔭会」をなんとか復活したいものだと、先代の宮司さんと何度かお話していたのだが、私が奈良へ居を移して間もなかったこともあって、旧郡山藩士族の現状を全く理解できていなかったので、先へ進めることが出来なかった。

先代の宮司さんがお亡くなりになってから、現宮司ご夫妻とも親しく交流させて頂いている。
今年の春は満開の桜と共に、新しく組みあがった天守台に登り、大和平野を一望するのを楽しみにしている。

話は変わるが、ワードプレスのテーマがやっと落ち着いた。外国製のテーマは複雑なCSSを書いてあるのが多く、フォント一種類や大きさの変更が難しかった。
今セットアップしたものは日本の方が作成されたもので、日本人らしくフォントの種類や大きさをブラウザー上で変更できるように設計されている。

日記的なもので十分な私は誠に使いやすい。少なくとも半年以上はこのままで行くと思う。
作者に感謝です。